そういえば不動産デベロッパーに転職しました(ずっと前)

 編集者としてのスキルを分解していくと、どうやら事業会社やインフラビジネス(不動産も広義のインフラと見なしている)で役立つ、といろいろな企業から誘っていただいて、どんどん編集者が流出していっているのは風の噂でしっていたが、どこ吹く風と思っていた自分がデベロッパーを選ぶとは自分でも驚いたと同時に、ほかの(たとえば電気通信事業者)などはもう少し年を取ってでもできるが、不動産デベロッパーに入るタイミングは今しかないと思ったので、とりあえず突入してみた。どこまでも昭和をひきずっている業界ではあるものの、事業開発に携わり、編集とはまったく別のことをやりながらも実は繋がっていることを意識しつつ、培ったスキルを発揮して頑張っていきたいものである。

 あと、給与が死ぬほど高いのも嬉しいところではある。消費がはかどるなあ。

 

年賀状がなくなるとき

 最近のニュースを見ていると「年賀状は今年で終わりにします」「という年賀状」がLOFTなどで発売されているという。当方、年賀状を出さなくなってもう10年ほどが経過したが、帰省した折には年賀状のデザイン周りなどを親に頼まれ、400部ほどすって、宛名は父親の代筆をしなければならないので、たいそう骨の折れる作業であり、今年もそれがまっているかと思うと、非常に億劫である。

 年賀状は、たとえば友人・知人の家族の成長が見られる写真を毎年プリントしてあって、この子も大きくなったなあ、と本来なら感慨に耽るはずのものだが、今やアクティブにFacebookを使っている人たちの近況報告では毎日のように子供の写真がアップされており、「この子も大きくなったなあ」という感情がまったくない。ログインすれば毎日でも見ることができるのでなんというか、意味がない。話は逸れるが、我が子や身内をオープンな場、特にInstagramにアップするという行為は大きな危険性を孕んでいると思うが、あれって親はどう思っているんだろうか? 私たちは何を見せつけられているのだろうか。こうした視点の先にあるのはどこまでも親の狭窄的なまなざしであり、エゴって怖いよなあと、年賀状の時期と親戚一同に会うこの時期に思った次第である。